趣味編 サッカー 愛するクラブLiverpool
私には心から好きなクラブがあります。
それはイングランド屈指の名門Liverpoolです。
1892年創設されたクラブです。
とはいえ私はまだサポーター歴が長い訳ではなく、16〜17シーズンからです。なのでまだ4年程度です。(笑)
当時中学2年生でサッカー見ることには興味が無かったのですが、KONAMIさんが出している人気ソフト、ウイニングイレブン(以下ウイイレ)で、Liverpoolと出会います。
兄のPS4でウイイレをやっていた私は、myclubというモードをずっとやっていました。
どのようなモードかと言うと、マイクラブコインというものを貯めてそれでガチャを引き、出てきた選手を、自分のチームの選手として試合で使えるというモードです。
私のチームのGKは、当時Liverpoolに所属していたシモン・ミニョレ選手でした。
初期からミニョレを使っていたために、ミニョレがとにかく大好きでした。
Youtubeなどでシモン・ミニョレと検索してみたり、Liverpoolと検索してみたり、気づいたら私はレッズに染まっていました。(レッズ:Liverpoolの愛称)
Liverpoolと言えばパッと思い浮かんでくる印象深い試合があります。
それは04〜05シーズンのUEFA Champions League(以下UCL)の決勝戦ですね。
このシーズン、ベニテス監督が就任し、プレミアリーグの方では5位と納得のいく順位ではなかったものの、UCLの方では決勝戦まで勝ち進みました。
対するは当時最強のACミラン。
当時のミランはスター選手揃いでした。
その前評判はミランが圧倒的でした。
舞台はトルコ、イスタンブール。
この日イスタンブールは熱狂の渦に巻き込まれます。
前半ACミランが3点をリードします。
ですが54分、リーセのクロスを、キャプテン、スティーブンジェラードがヘッドで合わせ1点返し、56分にはスミチェルがペナルティエリア外からミドルシュートを決め、60分、シャビ・アロンソがPKを蹴り1度阻まれたものの押し込み同点に追いつきます。
6分間で3点を返し、そのままPK戦までもつれ込みましたが、最後はデュデクがセーブし見事逆転での優勝を果たしました。
そして最近!記憶にも新しいアンフィールドの奇跡!
18〜19シーズンUCL準決勝2ndレグで、LiverpoolはホームAnfieldにて、バルセロナ相手に4点を取り、アグリゲートスコア4-3で見事逆転での、決勝進出を果たしています。そしてそのまま決勝では、トッテナム・ホットスパーとの同国対決を制し14年振り6度目の欧州制覇を果たしました。
このように、大事な時にすごいパワーを発揮する、Liverpool。なにか特別なLiverpoolイズムを感じる気がします。
ざっとではありますが、Liverpoolについて紹介してみました!
調べてみるともっと奥深い歴史のある素晴らしいクラブだと言うことかわかります!
ぜひ調べて見ていただけるとうれしいです!
私は戦術的な面に関してはまだまだ分からないことだらけですので、あまりそれに関してはブログで話すことは無いんですけども、そのチームの魅力、サッカーの魅力、などが伝わればいいなと思っております。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
なんでもない学生ですがブログ始めました。
はじめまして!恒です!
17歳の高校1年生です!(?)
好きなことはサッカーで、趣味はサッカーを観ることと、絵を描くことです!
なぜ、17歳で高校1年生??と、思われた方もいるかと思います。理由は簡単で、学校を1度辞めて、今年の春に再び入学をしたからです。(もちろん試験もちゃんと受けました)
あまり興味が無いと思いますが、何故そうなったのか、そこまでの流れ、経緯などを、少し話させていただきます。
では何故高校を辞めたかという事なんですが、当時の私はサッカー部に入っていて、毎日厳しい練習に励んでいました。体育系の学校だった為に少し厳しい所もありました。
当時のサッカー部の顧問は、今でもまだ多くの学校にいるであろうスポ根顧問でした。
どういうことかと言うと、とにかく走る、走る、走る。という感じで。
「サッカー部なんだから当たり前だろ!」「それが嫌なら辞めちまえ!」と言われるかもしれませんが、大事なことはそこでは無いのです。
当時の自分は、そこで大きな疑問が出来ました。
今やっている走りの練習は体のどこに、プレーの中のどこに、良い影響を与えてくれるのかと。
トレーニングにおいて、具体的な説明をするのとしないのとでは大きな差が出ます。更に、毎日毎日走っていては身体は常に疲労が伴い、大事な試合の日も最良のパフォーマンスが出来なくなってしまいます。
そして、日々の練習にサッカーをやっている意味を見いだせなくなり、更にはもうこの部活はサッカー部じゃないと思い、部活を退部しました。
問題はここからです。
自分がいたサッカー部の顧問はその学校での勤続年数が1番長い先生で、言ってしまえばかなりの権力がありました。
2018年9月の頭、私は顧問の先生に呼び出され1対1で、部活に戻るように説得されました。
ですが説得と言ってもかなり高圧的な態度で部活辞めたなら学校もやめろというような内容でした。
当時の自分は、メンタルも相当弱かったもので、今更部活に戻るような勇気もなく、ただ学校を辞めるという選択肢しか残りませんでした。
とはいえ、たかが顧問、ましてや部活を辞めただけで学校も辞めるなどというルールはどこにも存在しません。1年の時の担任の先生も、味方をしてくれて、2学期が終わるまでは頑張って行っていましたが、3学期から行かなくなり、結局1年の単位を取らないまま、2019年3月31日付けで高校を中退しました。
今日はここまでにさせて頂きます。
また日を置いて、この続きを話させていただきますので、もし暇でしたら、読んでいただけるとありがたいです。
なぜ私がこのブログを開設してこんな誰も興味無さそうなことを発信しようかと思ったのかと言うと、私は決してエリートでもなく、根気もない、そんな人間です。
世間一般的には小学校、中学校、高校を出る事が普通とされています。ですが、私は高校を辞め、普通とは違う選択をし、また高校に戻った。という少し変わった生き方を今現在していると思います。
形は違えど何らかの形で、進路困っていたり、学校生活に不安なことや、嫌な事、困っていることなどがある人もいると思います。
そんな方たちに、こういうやり方もありますよ。というように助けになれればいいかなという理由です。
「あっ、そーゆーやり方もあるのか」という風に、思って頂けるように頑張りますので、どうかこれからよろしくお願いします!
また、自分の考えや、ただの日記のようなもの、趣味なども書く事があると思いますので、もしよろしければ見てください!🙇♂️
長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます!